茶室

 

利休居士百首の歌の中に「茶はさびて、心は厚くもてなせよ、道具はいつも有合せにせよ。」というのがございます。
これは人をもてなす要諦は、真の心なのだと云う茶の湯の精神の教えでございますが、
炭屋もまたお客様をお迎えするにその心構えでお待ち申しあげて居ります。

 

幼い頃に聞いた『月には兎がいて餅つきをしている』との伝説はどうやらアジア広域に伝わっているらしい。

『昔むかし、猿、狐、兎が仲良く暮らしていた。
そこへ老人が現れ「老いて力がなく助けて欲しい」と頼んだ。
猿は果実や野菜を、狐はお供え物の飯や魚貝類を持って来たが、何も出来ない兎は「私が焼けたら食べてください」と言い残し火の中へ飛び込んだ。
獣たちの善心を試した老人は本来の姿の帝釈天に戻り、皆に見えるよう兎の姿を月の中に写した。』

仏典では後に兎が釈迦に生まれ変わり施しの大切さも説いている。
謡曲「竹生島」で『月海上に浮かんでは 兎も波をおどるか 面白の島の景色や』と謡われるように、月と兎は離れがたい存在であるらしい。
兎年だった祖父同様、今も炭屋が最も大事にしているのが茶席「玉兎庵」である。

 

炭屋には、玉兎庵の他に一如庵という茶室があります。
仏典から採られた席名で「一」は不二、「如」は不異、つまり平等無差別の意味らしいのです。

北向きのこの席は晩年父が特に好み、一日中、正確に言えば一晩中閉じこもり、
好きな茶碗を箱から出しては並べ、又茶杓と置き合わせては一人楽しんでおりました。

この一如庵の襖を開ける度に、今は亡き父を思い出しております。

 

銀閣寺内の洗月亭にその起源がございます。

すべて直線で構成された座敷の中心とも云うべき床の間の落し掛けから床框にかけて大きく半弧を画いた大胆なデザインは
まことに心憎い天才の所産とも云うべきでございましょう。

 

炭屋 玉兎庵の庭には残念石と呼ばれる蹲があります。
横幅およそ186センチメートル、大きくてどっしりとした御影石です。

大阪城修復の時、各大名は競って石を切り出し、それぞれに刻印を打ち込んで新政権への忠誠を表しましたが、
あまりに石が多すぎて修復に使われない石が沢山出来てしまいました。

本望を遂げられなかった石は、捨てられ、いつの日からか残念石と呼ばれていましたが、
今でも炭屋が世話になっている植熊さんの先代が、その石の山の中から炭屋の蹲踞によかろうと持ち込んでくれたのが残念石の始まりです。

今では炭屋の主人公になっているこの残念石で出来た蹲踞を通って玉兎庵の茶事にお越し下さいませ。